- 2001年 12月 -


◆ 12月31日(月)

   前の日に遅くまで起きていたにも関わらず9時には目がさめる。あー、実家に帰る気が起きない。横になりながらGS美神 極楽大作戦でも読んで1本電車を見送る。しかしそれが命取り。さすが使えなさ97%の米坂線。9:50の電車を見逃したら次はなんと15:36! しかたなく雪が小降りになった頃合を見計らって、米沢駅まで歩いて行く。

   実家には18:30くらいに到着。迎えにきた母親はいきなり不機嫌。未だ学生している私が大掃除も手伝わず、飯だけ食らいに帰ってくる上に、到着が遅れたのだから当然だろう。なんとかご機嫌取りをしておかなくては。そのおかげでテレビのチャンネル争いに何も言えず、見たくも無い紅白歌合戦を延々と見せられる。眠い・・・。そのうえ夜半には近所のさびれた(!)神社に無理矢理元朝参りに連行される。この時みんなは温かいと言っているが、岡崎の季候に慣れた私の体には非常に堪える寒さである! 神様に拝んでいる場合ではない。助けて・・・。こんなことならもう少し早く帰ってくれば良かった・・・。


◆ 12月30日(日)

   昨日は米沢到着してから、deenさん、雪見酒さん & T氏と合流し、A氏の棲家で宴会。どうやらだいぶ飲んだようで、紹興酒のビンが1本空いている。しかも自分一人で飲んだようだ。どうりでまだ酔っている訳だ。皆が起きたところで、部屋は片付けず、酒だけは片付け、「かめよ現代人」をチップ代わりに置いて行く。私はその後、腰痛の治療のため白沢の湯で湯治。4人とはそこでお別れである。

   温泉に1時間半も入り酒も抜けたところで、今度は白楊へ寄る。まずはT氏に連絡。T氏は珍しくバイトに出かけているとのこと。私が来たときに限ってバイトに行くとは、ひどい。仕方ないのでアポ無しで白楊に侵攻。年末でほとんど人がいなかったが、なんとか知人に遭遇。もし誰もいなかったら、雪の降る中何も無い米沢の工学部の付近をウロウロしなくてはならないところであった。

   夜には何故かまた温泉に行き、酒も飲んで気分よくなったところで麻雀。岡崎に来てからは一度もやっていなかったから3ヶ月ぶりだろうか。点数計算がなぜか出来なくなっている。
   4時も回ったところで終了。成績は△4。あわただしく動いていた割には浮いていない。無駄に動き過ぎてツキを失ったのだろう。もう1局やりたいところであったが、みんな明日バイトなのでここで終了。麻雀の後は酒飲んでいつの間にか寝ていた。


◆ 12月29日(土)

○腹立つこと、その1
   年末なので米沢を経由して帰省する。今日は米沢で泊まる予定。朝起きて届くはずの荷物(学割)が届かない。2日前に速達で米沢から送ってもらったのだから、本来なら到着しても良いはず。郵便局に連絡してみる。
   郵便物は届いているとのこと。まあ何かのトラブルでもあって1日遅れたのだろう。朝一の便で送ってもらうことにする。9:30〜12:00までには届くらしい。9:30でも遅すぎるくらいだが、仕方が無いと諦め少し待つことにする。

・・・・・・・・・・遅い・・・。もう12時過ぎてるじゃないか! もう一度電話してみる。今度は12:30まで待てとのこと。おいおい! しばらくの後なんとか郵便物は届いた。「速達です」と言われた時には、「速達じゃねーよ!」と思わずつっこむところであった。

○腹立つこと、その2
   時間はもう13:30、やっとこさ東岡崎駅から出発。新幹線で行くので、大雪で止まりさえしなければ多分間に合うはず(注:米沢で前日は大雪、by天気予報)。
   さすがにこの時期は帰省ラッシュで人だらけ。豊橋〜東京間はスカスカだったけど、山形新幹線は満員御礼。自由席にはとても乗る余裕が無い。椅子に座っていないと腰の痛みが再発してしまうが、ここは我慢して立って行くしかない。
・・・・・いてて。宇都宮を過ぎた辺りから少しずつではあるが、腰痛君が活性化し始める。福島の辺りではもう限界。頼む、替わってくれ・・・。その時、小雪を見てはしゃぐ、どう見ても「スキー客」が目に入る。しかも奴らは座席でのん気に座ってやがる。おのれ! この混雑する時期にわざわざスキーの為に来るんじゃねー!!


◆ 12月24日(月)

   どうしたものか、誰もいない。今日研究所に来たら、自分一人しかいない。今日に限って朝早く来てしまったためだろうか? 早いと言っても30分くらい早いだけだし、誰か一人くらいはいてもいいはず。みんなどこかへ出張かと思い予定表&カレンダーを見る・・・・・24日が赤い色で書いてある・・・・・。しまった! 今日って休みだったのか!


◆ 12月22日(土)

   ランドストーカーもとうとうMAX HPに到達(たぶん)。HP169。凶悪な攻撃力である。ラスボス、ゴラも一撃で粉砕。笑いが止まらない。

   クリア後ふと攻略記事をここに載せようかと思った。いのちのもとリストは最低限製作するけど、問題はあの3Dダンジョンをどのように表現するかだ。文字だけではとても表現するに難しいし、かといって図を書くのも非常に時間がかかるし・・・・・やめようかな。


◆ 12月20日(木)

   研究室の大掃除&忘年会の日である。腰に爆弾を抱えた今の状況で「おおそうじ」という単語を聞いた瞬間は戦慄が走った。阿鼻叫喚、地獄絵図。しかしその後聞いた「ぼうねんかい」は、地獄に垂れた一本の蜘蛛の糸のような響きである。途中で糸を切られなければ良いが・・・。
   実際、皆も私が腰が痛いのを分かっていたせいもあり、さほど腰に負担のかからないような作業であった。良かった、本当に良かった。その為か余分なところまで掃除を行い、皆さんの忘年会までの実験の予定を狂わせてしまったようだ。申し訳ない。

   6時からは「てっぽう」という飲み屋で忘年会。よほど嬉しかったのか、皆に「目が生き生きとしている」と言われる。飲みも始まりいきなり熱燗で乾杯。やはり冬は熱燗である。この忘年会でひとつだけ気になることがあるのだけど、記憶はハッキリしているけど勘定の時に何円渡したのか覚えてない。出る前に酒を一気飲みして一瞬だけ記憶が飛んだのだろうか? 何円出したのか覚えてないなんて、本当に危ない。


◆ 12月18日(月)

   車に轢かれそうになった。間一髪である。急に飛び出した私も悪いが、減速しようとしない車もひどい。自転車のブレーキで止まれない坂道で、道路脇の石垣を手で掴み何とか止まった。あと数センチで死ぬところだった。

   噂に聞こえた三河のドライバーのマナーは悪い。7割くらいの人は歩行者なんて全く見ちゃいない。青信号でも車が絶対にいないことを確認して渡らないと、命がいくつあっても足りない。横断歩道の無いところなどは車優先、歩行者は絶対止まって安全確認。しかし中には親切な人がいて、その人はどんな状況でも歩行者を優先させる。こうなるとお互いに譲り合いを始める。とにかく自転車に乗っていると車より神経を使う(私、ペーパードライバーですが・・・)気がする。


◆ 12月17日(日)

   前田慶次郎道中日記の更新を再開。打ち込みしてると同じ姿勢でいることが多く、結構腰にくる。30分過ぎると腰の辺りに痛みが走り始める。1時間が限界だ。同じ日記でもこちらは適当に書いているためか、腰の痛みなんて全く無い。これも格の違いというものなのか?


◆ 12月15日(金)

   寒い。耐寒性能の高い私も暖房器具全く無しの生活はさすがに堪える。天気予報見たら見事な西高東低の気圧配置。筋雲出ていて、誰が見ても日本海側の天気は雪だと分かる。我が第二の故郷米沢ではもう1mくらいは軽く積もっただろうか?多分今ごろは(一部の人間で)雪かきしてるのだろうな。腰を痛めている今、雪かきしたら再起不能になるだろう。それともいい運動になって治ったりして?

   どんなに寒くともゲームだけは止められない。お茶で暖をとりながらランドストーカーの金稼ぎ開始。あまりの単調作業に眠気が・・・・・いかん! ここで眠ったら死ぬぞ! とアホなこと考えつつも金稼ぎは順調に進み、現在のHP68。残り37,200G。このくらい体力があると攻撃力も高く敵もあっさり死ぬので、荒稼ぎも可能になる。99まで今晩中に辿り着けるだろう。


◆ 12月10日(月)

   研究所にほとんど人がいない。今日は皆さん学会で、新米な私はおとなしく実験。結構空き時間が多いので、その隙にプログラムでも作ってみる。念のためプログラムは研究用に使える(と思う)ものである。自分だけで使用しても良いが、なんとか皆で使えるように出来ないかと思い、最近CGIを勉強中。やっと簡単なCGIが出来るようになったものの、まだセキュリティは甘い(タグとかSSIの判定とかまだなので)ので、とても外へは出せる代物ではない。道のりは遠い。

   家に帰り久々にランドストーカー始める。HP4でクリアしたというN-JINさんのサイトに久しぶりにお邪魔したところ、なんとHP4でホーリーさんも攻略していた。私の闘争心に火がついたかHP最大値を目指そうと思った。普通にやるとHPは99で打ち止めなのだが、カザルトでいのちのもとを買ってHPを99にした後、宝箱のいのちのもとを取るとどういう訳かHPは99を超える。つまり @HP4でカザルトまで行き Aいのちのもとを95個(114,000G !!)購入し Bその後宝箱を開けまくる、とすればよい。私もHP4でクリアしているので、残りはそのデータを使って114,000G貯めること。今日は4時間かけて12,000G貯めたので、残り102,000G・・・・・道のりは果てしなく遠い。


◆ 12月9日(日)

   天気も快晴だというのに朝からゲーム。こんなことしてるから、運動不足で腰痛になるんだよなあ。とはいえ一度やり始めたらもう止まらない。最近やっとバハムート戦記の面白さに目覚め、毎日睡眠時間を削ってまでやっている。しばらくしてコントローラーの電池切れる(コードレスパッドなので電池が必要)。どうやらメガドラにまで「運動しろよ」と言われているみたいだ。

   しかたなく外に出たものの、腰痛で行動が制限されて何もすることが無い。なんとなく古本屋に寄り、「SAKON」全6巻を購入。この作品は漫画の「影武者 徳川家康」の外伝みたいなもので、島左近を主人公として話が進む。最初の2巻くらいまでは良かったのだけど、後半の羅刹との戦いはダレぎみ。最後もなんだか分からないうちに終了。原先生どうしたのですか? という感じだ。


◆ 12月8日(土)

   昨日のつまらん公演のせいで治りかけていた腰痛が悪化したため、もう一度病院へ行く。電気をかけてもらったせいか、だいぶ楽にはなった。診察の際、腰痛になった原因について聞いてみた。長時間椅子に座って同じ姿勢でいること、運動不足であることを指摘される。そういえば、ここへ来て本当に運動しなくなった。米沢にいたころは毎日4階までの階段を何往復もさせられていたためか足に筋肉がなぜかついていたのに、今ではもう無駄肉がついてきている。まさに「脾肉の嘆」だ。

   さらに診察の際「腰痛に効く体操」の紙をもらう。屈っ、なぜこんな爺くさいことせにゃならんのだ。と思いながらも早速その日の夜に実行。・・・・気のせいか辛い。いや気のせいではない、これは現実だ。しかもまだその体操は半分しかやってない。本当に筋力衰えたあ・・・。ショック大。


◆ 12月7日(金)

   早く終わってくれ・・・・。何とも座り心地の悪い椅子で、つまらんセクハラの講習会を聞かされている。この椅子に座っていると、どんどん腰痛がひどくなる。腰痛に耐えながらもぞもぞと動く私の挙動に、周りの人々は不信感を抱いているようだ。話の内容が面白いのなら、まだこの苦痛にも耐えられる。だが意味の無い話を延々と聞かされ本当に拷問の2時間だった。講演会の時間が夜なら死兆星が見えたと思う。

   私自身セクハラに関心が全く無いので、本来なら文句を言うのもおこがましいと思っている。だが言いたいことがある。あの講習会は、「企業がセクハラで訴えられると被害も大きいよ」とか「この場合にはこうするといいですよ」という話の連続。企業イメージが下がったり被害が大きかったりするからセクハラしてはいけないのか? さらに、例で出した場合以外はどうするの? 確かに応急処置として、その対処法は必要だとは思うが、所詮は応急処置。ほっといたら死んでしまう。真面目に解決しようとするなら、なぜセクハラが起こるのかという根本的なところから考えて行かないと、いつまでたっても解決しないと思うのだが。
   まあ、演者もなぜか緊張していたようだし、言葉の節々から察するに、もう少し違う内容で公演したかったのかもしれない。彼はそんな内容を語る場ではないと察したのだろう。もっと問題なのは文部省からして「会社」とか限られた空間内での「対処法」しか述べていないのに、偉そうに研修会やれと命令しているという事実だと思う。どうせセクハラ問題なんて流行り病みたいなものと思って、中途半端に対策練って「わが国でもセクハラについて考えています」というポーズを見せたいのだろう。そんなことのために皆さんの時間を使うのはハッキリ言って無駄だし、なにより私の腰痛で苦しんだ分をどうしてくれるのか?


◆ 12月6日(木)

   私は今嫌がらせを食らっている。おかげでみんなはもうとっくに帰ったというのに、まだ残って実験。文句を言いたくても相手が相手だけに言ってもしょうがないし、第一聞き入れてくれることは無いだろう。単細胞みたいな奴だからな! 今日も腰が痛く、椅子に座っているだけで苦痛だ。私にも全く非が無いということも無いのかもしれないけど、まだ来て日も浅い方だし、多少実験の手間がかかってトロくても勘弁してもらいたい。
   なぜだ、なぜ奴だけが・・・。確かにいきなり変異を入れたりしたのは悪いと思う。だけど、その1つを変えただけで後の悪劣環境下で生活できるのだから勘弁してもらいたい。なのに、それに逆らった奴がいて、それゆえに仲間は切られてしまった。それを逆恨みしたのかどうか知らないけど、成長を遅くしてまで私に嫌がらせすることはないじゃないか。・・・なんて大腸菌相手に文句いっても本当にしょうがないんだよなあ・・・


◆ 12月5日(水)

   朝起きると腰が痛かった。マジで痛い。昨日までは何とも無かったのに、一体何があったのだろうか? 特に椅子に座ったり立ったりするときが痛い。ほんとうに泣きそうなくらい痛かったので、午後に実験のきりのよいところで病院へ行く。
   行った病院は、私が岡崎へきて早々、足の裏に膿ができていたので治療してもらった所。あのときは魚の目がクラスチェンジして化膿して、歩くのもやっとでいった覚えがある。今回も歩くのもやっとで病院へ行く。ここで雑学。魚の目の治療は形成外科であり、膿の治療(腰、関節とかも)は整形外科である。なんともややこしい。

   長い時間腰の痛みを耐え、やっと診てもらう。そして腰の辺りに電気を流し10分した後、湿布を貼ってもらい、コリを治す薬を貰った。・・・・って、そんなんで治るのか!? 骨の髄まで来るような痛みなのに。というか、その後はもっと痛みがひどくなる一方。だいたい、農作業後の疲れから来る痛みなら毎年経験しているし、その何倍も痛いんですけど・・・。


◆ 12月1日(土)

   もう師走。今日朝起きて一つ気づいたことがある。家賃払ってない・・・。お金が無い訳ではないのだけど、単純に忘れてしまった。米沢の寮では7年と6ヶ月(長っ!)いて滞納は最初の1回だけだったのに。少し気分が落ち込む。

   追い討ちをかけられたかのように(?)、今日は次から次へと実験。気になるのは、とある店の閉店時間。ここ最近やっと業務用の食材を売っている店を発見。料理は大量に作って毎日同じ物を食べる私にとっては、大量に買うと安くしてくれる店の存在は有難い。初めて行ったときは「領収書要りますよね?」と聞かれる(つまり料理店の人かと思われた)ほど大量に買い込んだ。その店は閉店早く日曜は休業なので、実質土曜の昼しか行けない。もう時間は5時。日も暮れていて、終了したかと思った頃に次々と新手の伏兵が! やっと終了して急いで行くと・・・・シャッターが下りてる・・・。

   1週間分の食事が・・・。今日はヤケ酒だ。


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