- 2002年 3月 -


◆ 3月30日(土)

   外は桜満開。でも私は部屋の中で悶々と「サクラ大戦」、しかも2。世間では4が出ていたりするのだが、そんな事は気にしない。8人分のエンディングを見、グランドフィナーレを達成するため、今日もまたコントローラーを握る。

   昨日まででレニが終わり3人目が終了。今日は4人目、すみれの番。もう9話目からとはいえ4回目ともなるとダルい。気分転換のゲームのはずが、より気分を疲れさせるための作業となっている。8人全員のエンディングを見たからといえ誰も褒めてくれる訳ではない。ただ自己満足があるのみ。傍から見ればひたすら無駄に長い時間を費やしているだけだが、その時間を至福と感じられることこそゲーマーとしてあるべき姿である。100時間程度もやり込まないくせにゲーマーを名乗る輩はよくいるが、彼らには魔界の門をくぐったゲーマー達の姿を是非とも見てもらいたいものだ。しかし、サクラ大戦の話題のはずが、何をここまでゲームについて熱く語っているのか? まあいいか。


◆ 3月28日(木)

   岡崎は今日が桜満開。昼に研究所の掃除らしくて追い出されたのをついでに、乙川まで桜を見に出かける。どうやらここは岡崎の花見ポイントらしく、平日の昼にも関わらず人が多い。桜を見ながらビールを飲んでいる人もいる。今日は気温も高く、少し汗ばむくらいなのでビールは美味いだろう。とてもうらやましい。というか、我々の研究所では花見はないのだろうか? 是非ともやってほしいなあ。まあ、私の場合、「花より団子」ならぬ「花より酒」だけど・・・


◆ 3月27日(水)

   米沢のボス襲来。今日の訪問の目的は未だに不明である。今朝寝坊してヤバイと思ったけど、朝早く来ることは無く昼の1時にやって来た。まずは簡単に研究所を案内する。そして必要な書類とかやらなくてはならなかった「研究計画」なるものの話を始める。この間、余談も多分に入り2時間余りの時間を費やす。その後今の研究の話をすると思いきや・・・・岡崎の名所を見たいとかで外へ行ってしまった。本来なら私も付随して案内するのが筋なのだろうが、実験中だろうからという今更な気遣いをしてもらう。まあついて行くことになったなら岡崎の歴史の話をされるに違いない。岡崎の歴史は調べていないからなあ。長話になったなら辛い・・・

   さて夕方5時にボスが再び帰って来る。一対一で夕食である。どうやら先ほどは矢作橋に出かけてきたらしい。それからしばらくの間、歴史の時間になる。自分の知っているのは戦国時代のごく一部(前田家とか伊達家)と第二次大戦の頃と非常に限られた範囲であり、その他は全く無知な訳で・・・辛いです(泣)。その後にはいつもの昔話が始まり、7時になった段階で東京に向かうと言って去った。嵐のようなトークをかまされ非常に疲れたなあ。あれ、研究の話は・・・?


◆ 3月26日(火)

   今日の昼過ぎ、やっと米沢のボスからのメールが届く。明日到着する予定とのこと。でも時間の指定なし、一体何時にやってくるのか? 多分午後からだとは思うけど、ねぼすけの私が寝ている早朝にやってきて憤慨されても困るので、朝早くから待機することにしよう。

   実家から米が補給されると以前より連絡があったので、一旦帰宅する。帰宅途中どこからともなく私を呼ぶ声がする? すると、黒○の宅急便のトラックから私を呼んでいるではないか! どうやら荷物を早く持ってきていて、不在はがきを置いてきたのだけど、もう一度届けてくれるとのことだ。それにしても、何時の間に顔を覚えられたのだろうか? 実家から5回くらい荷物が送られたけど、それで憶えられたのだろうか? 実際一度も会ったことが無い人に名前を覚えられてたりすることは何度もあったけど、これって非常に気味が悪い。まあ私の珍しい名前と風体を見て忘れる方が珍しいと言ってた人もいたが・・・。でも私の名前は覚えられているのに相手の名前を覚えてないので、勝手に憤慨する人もいるし・・・・今まではあまりいいこと無かったなあ。今日は何か得したような一日である。


◆ 3月25日(月)

   不幸なことは重なるものだ。私の経験則では不運な日というのは連続して不幸な出来事にあうものである。サイコロを6回振って1から6まで重複なく出る確率が少ないように、不幸な事は分散しないで2、3回くらい連続する方が普通である。今日はその日だったようだ。

   明日か明後日、米沢のボスがやってくる。来るのはいいのだか、何時やってくるのやら連絡が無い。仕方ないので明日、明後日は時間に余裕を持たせようと、実験を詰めに詰めまくる。あまり詰めすぎたか、実験途中に先生が来て結果を聞かれる。私の頭の中は次の実験のことで一杯なので、かなり適当に答えてしまった・・・・当然、怒られる。穏和な先生だったのでそれほど怒られはしなかったが、もし立場が逆なら私はキレてる(!)。
   話が終わり、次の実験・・・・・何するんだっけ? もう忘れてる。確かエレクトロポレーションをやるはず。と、うろ覚えの記憶を頼りに始めたら・・・・あー、これもうやってるじゃないか! 30分くらいしてから思い出す。こうして悉く時間をロスしまくる。帰りの予定時間1時(泣)。さらに針金で親指の付け根を切ってしまうし・・・・

   全ては奴のせいだ! そう思うことにしよう。


◆ 3月23日(土)

   新聞によると、岡崎市の指定の奥山田のしだれ桜がもう7分咲きらしい。この新聞2日前のものなので、適当に計算すると今日には満開だろう。今日生えてくるはずの大腸菌が出てこなくて暇になってしまったので、自転車で出かけることにしよう。運動不足も解消されるに違いない。

   いつもながら思うのだが、岡崎の歩道はボコボコしてて自転車で走るとすぐタイヤを痛めてしまう。だからといって車道に出るのも恐い。本来なら自転車は車道で走るもの。これグローバルスタンダードってやつ。でも歩行者に厳しい三河の交通事情では非常に恐くて車道で走りたくない。ハッキリ言って圧雪状態の米沢の道路を自転車で走る方が安全な気がする。よく横断歩道の真ん中で止まっている車をよく見かけるけど、あれは一体何なのか? しかもここではそれが当然みたいな顔してる。自転車では程よくスピードも出るので非常に注意してないといけない。おかげで体力よりも先に気力が疲れてしまった・・・

   50分くらいかかっただろうか? どうも変な道を来たらしく山の中を走ってきてしまった。すごく疲れた。気力・体力ともに消耗。さて目的の桜は・・・・あった、見学に来る人もそれなりにいたし看板も出てたのですぐ発見。それで桜はというと、1本だけ? しかも葉桜になりかけ。想像では何本も桜が並んであると勝手に想像していたのでショック。山の中に見事なしだれ桜が1本だけというのは絵になるのだろうけど、これほど疲れてまで来る価値があるかというと・・・。とりあえず一通り眺めてはきたけど、なんか疲れた。帰りの足取りが本当に重い・・・


◆ 3月20日(水)

   桜がもう咲き始めている。今年は三寒四温の「三寒」が無い気候だというので桜の咲く時期も早いというが、東北出身で長いこと過ごした私にとってはこの時期に咲くなんて早すぎる。実家の辺りでは3月なんてまだ冬だし、三寒四温というより六寒一温くらいだったよなあ。牡丹の花がやっと咲く頃だっただろうか? 梅がが4月で桜は5月。花札とは丁度1ヶ月違いである。逆にこちらは2月に梅、3月に桜である。なんと同じ日本だというのに2か月分も気候が違う。違和感あるわけだよなあ。


◆ 3月16日(土)

   今日も一日「傾奇御免」の更新作業。まあ実際は実験が上手くいってなかったから、実験のやり直しのついでに更新作業したというところか。以前より書き直そうと思っていた、慶次郎の紹介を書き直しの作業がやっと終了。自分では良くまとめたつもりだけど、どうだろうか? 後で掲示板にでも書き込んで反応をみてみよう。その他にも荒子城址の紹介も作る。荒子城址の紹介を作った段階で時間は夜の2時半。なんだか異常に疲れたなあ。


◆ 3月14日(木)

   今日はワークショップの日である。まあいわゆる学会なのだが、会場はここ岡崎なので移動の手間は無い。それどころか、発表もすることないし、会場の準備もしてない。スタッフの数が多いためだろうか? 米沢のときは学生も全員借り出されたものだったのだが。それで本当ならお気楽モードなのだが、問題は米沢より前の(名目でも今もだが)ボスがやってくることである。現在の研究の進行具合を聞かれても、ほとんど進んでいないに等しいので何と話したらいいのか困る。

   発表も終わり問題の懇親会の時間がやってくる。懇親会とはただの飲み会なんだけど、このような場ではボスの元に行って話をしなくてはならない。とんずらする訳にもいかないので、ボスの所へ行き会話をする。ボスの話は主に今年の学部生の研究の話だけで、私の研究の方へはそれほど触れてこなかった。良かった・・・

   懇親会終了後は、米沢の助手の方からボスの愚痴を散々聞かされる。まあ大体は想像通りだったんだけど・・・。今年はさらに輪をかけてヒドくなったらしい。だいたいボス自身が研究してない上に、プログラムも出来ないし、実験も出来ないので現場のことなど全く知る由も無い。堪りかねた学部生が「先生がやってみたらどうですか?」と言ったら「野球の監督が選手のように動ける訳がないだろう」と返事されたとか(おいおい・・・)。そして、「研究は自分で考えろ」とか言いながら、自分の思ったとおりにしてくれないと激怒する。当然その後は何のフォローも無いので学生は何をしたらいいのか困る訳である。こんな状態で研究できる訳も無く、それが卒研の酷さに出た訳である。こんな奴が山大の教授して教育者面して歩いているのだから、山大も終わってるよなあ。


◆ 3月10日(日)

   今日は「傾奇御免」の更新作業。外は快晴だというのに内で黙々と作業を行う。説明文はすぐできたけど、昨日撮影した写真を貼り付ける作業に難航。なんかデザインが決まらない上に、清洲城の写真なんて変なの多くて全く作業がはかどらない。結局説明文載せただけだったなあ・・・。

   更新作業に四苦八苦している最中に、宅急便が届いたと連絡が入る。あれ、確か実家から荷物が届くのは6時のはず? 話を聞いたら早めに荷物を取れるのなら取りに来てほしいとのこと。実際連絡が入ったのは2時でその時はヒマであったが、研究所にもう一度戻るのもタルいので「早くても5時ですねえ」と返事をする。
   5時少し前になって、全ての作業が一段落ついたので帰宅する。すると、アパートの前で○猫のトラックがもう止まっている。その前を通りかかった時に声をかけられ、荷物を受け取る。その時の黒○の兄ちゃんの一言「いやー、ヒマでヒマでもう大変でしたよ!」。せっかくの晴れた日曜に荷物も少なく本当にヒマだったらしい。何か悪いことしたかな?


◆ 3月 9日(土)

   今日は慶次郎ゆかりの地である荒子城址(富士権現社)と清洲城へ取材の旅。昨日は帰ってすぐ寝たとはいえ、今朝は掃除・洗濯・飯炊きで早くから起きる。出かける時点でもうダルい。

   まず最初の目的地は荒子観音。荒子観音のすぐ近くに荒子城址がある。いつものことながら地図無しの上に、道が結構入り組んでいるので迷いはじめる。そのうち道に「犬千代ルート」と書かれた目印発見! この目印に従って進むと・・・荒子城址発見! 荒子観音より先に辿り着いてしまった・・・。荒子城址で写真撮影した後、帰り道もやっぱり迷う。しかし! 道に迷ってウロウロしていたら親切な方が城址の取材でウロウロしていると勘違いしたらしく、なんと屋敷跡や荒子城の堀の跡を教えてもらった。地図を持たず道に迷うともたまにはいいかな? でも疲れた・・・

   しかし、ただでさえ寝不足な上に体力の浪費をしたおかげか、その後の写真撮影はミスしまくり。逆光で撮ってみたり、構図がダメダメだったり、何の写真なのか分からないものもある。うーむ、これはもう一度撮り直さなくてはダメだなあ。


◆ 3月 8日(金)

   dark-kingntさんのところで第3回目のチャット。明日は名古屋の荒子城址と清洲城へ出かける予定なので、明日の分まで実験を行っていたら、夜の10時になっても終わらない。みんなは酒飲みながらやっているのを見ると、とても羨ましい限りである。99.5%エタノールなら沢山あるけど、まさか飲むわけにもいくまい。ほとんど作業しながら、会話を時々眺めながらの状況である。
   実験終了は1時半。まあ少しチャットしながらだったとはいえ、長くかかりすぎだなあ。チャットに参加していた皆さんもほとんど眠ったみたいだし、私もかなり眠い・・・。今から帰らなくてはならないのだが、今この机の上で眠りたい・・・・・


◆ 3月 5日(火)

   3月1日は金曜だということに今更気が付いた。ここ最近もこの日記に書くこと無くなってきて、しばらくご無沙汰してたからなあ。ゲームのことも欠く気力が無かったし。で、今でもサクラ大戦2してたけど、ミニゲームばっかりやってたからなあ。大富豪でやっと3回勝ってご褒美CG見れたことしか憶えてない。というかここ最近何してたのかすら憶えてない。ボケ症状がかなり進行しているようだ。いや、もしかして宇宙人がやってきて、そして・・・・・


◆ 3月 1日(土)

   暑い。今日は陽気どころか暑い。部屋の中の温度は27℃。冷蔵庫や冷凍庫が何台かある上に、熱を出す機械も多いので部屋の中は汗が出るほど熱い。皆さんも暑いと言っていたので、今日はは岡崎でも特別に暑い日のようだ。何となく安心はしたけど、気分は落ち着かない。というかイライラする。気候の変化にまだ体は順応していないのであろうか? そのためか今日の実験は失敗しまくり、さらにイライラする。悪循環してるなあ。


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