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西洋史検定/○× | |
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問題 | 答 |
古代ローマ帝国で、初の属州生まれの皇帝となった人物はトラヤヌスである | ○ |
古代ローマ帝国で、初の属州生まれの皇帝となった人物はハドリアヌスである | × |
313年にミラノ勅令を出したローマ帝国の皇帝はコンスタンティヌス帝である | ○ |
313年にミラノ勅令を出したローマ帝国の皇帝はディオクレティアヌス帝である | × |
『ローマ法大全』を編纂した5世紀東ローマ帝国の皇帝はディオクレティアヌスである | × |
『ローマ法大全』を編纂した5世紀東ローマ帝国の皇帝はユスティニアヌスである | ○ |
1215年にマグナ・カルタが制定された時のイングランド王はジョン王である | ○ |
1215年にマグナ・カルタが制定された時のイングランド王はチャールズ1世である | × |
1356年に金印勅書を発布した神聖ローマ帝国の皇帝はカール4世である | ○ |
1356年に金印勅書を発布した神聖ローマ帝国の皇帝はカール5世である | × |
1377年に「教皇のバビロン捕囚」を終結させたローマ教皇はウルバヌス5世である | × |
1377年に「教皇のバビロン捕囚」を終結させたローマ教皇はグレゴリウス11世である | ○ |
1649年の清教徒革命で処刑されたイギリス王はチャールズ1世である | ○ |
1649年の清教徒革命で処刑されたイギリス王はジェームズ1世である | × |
1688年に起きた名誉革命で追放されたイングランド王はチャールズ2世である | × |
1688年に起きた名誉革命で追放されたイングランド王はジェームズ2世である | ○ |
1918年のドイツ革命で退位したドイツ帝国最後の皇帝はフリードリヒ2世である | × |
1918年のドイツ革命で退位したドイツ帝国最後の皇帝はヴィルヘルム2世である | ○ |
1945年8月2日、ポツダム会談が終わったときのイギリスの首相はクレメント・アトリーである | ○ |
1945年8月2日、ポツダム会談が終わったときのイギリスの首相はウィンストン・チャーチルである | × |
古代ギリシャの哲学者プラトンとソクラテス。師匠にあたるのはプラトンである | × |
古代ギリシャの哲学者プラトンとソクラテス。師匠にあたるのはソクラテスである | ○ |
第二次ウィーン包囲の時の神聖ローマ帝国皇帝はレオポルド1世である | × |
第二次ウィーン包囲の時の神聖ローマ帝国皇帝はカール5世である | ○ |
フランスの歴代国王で在任期間が最も長かったのはルイ14世である | ○ |
「朕は国家なり」という言葉で知られるフランスの王はルイ16世である | × |
「朕は国家なり」という言葉で知られるフランスの王はルイ14世である | ○ |
1830年の7月革命で退位した当時のフランス国王はルイ18世である | × |
1830年の7月革命で退位した当時のフランス国王はシャルル10世である | ○ |
フランス第二帝政唯一の皇帝はナポレオン3世である | ○ |
18世紀オーストリアの女帝マリア・テレジアの夫はフランツ1世である | ○ |
18世紀オーストリアの女帝マリア・テレジアの夫はフランツ・ヨーゼフ1世である | × |
1814年のウィーン会議で議長を務めた政治家はメッテルニヒである | ○ |
初めて正式に「ツァーリ」と名乗ったロシアの皇帝はイワン4世である | ○ |
初めて正式に「ツァーリ」と名乗ったロシアの皇帝はイワン3世である | × |
1956年にスターリン批判をしたソ連の共産党第一書記はフルシチョフである | ○ |
1956年にスターリン批判をしたソ連の共産党第一書記はブレジネフである | × |
アメリカの南北戦争で北軍を率いた将軍はリー将軍である | × |
アメリカの南北戦争で北軍を率いた将軍はグラント将軍である | ○ |
アメリカの南北戦争で南軍を率いた将軍はリー将軍である | ○ |
アメリカの南北戦争で南軍を率いた将軍はグラント将軍である | × |
カトリック教会における初代ローマ教皇はペテロである | ○ |
カトリック教会における初代ローマ教皇はパウロである | × |
1077年のカノッサの屈辱で雪の中に立ち尽くして許しを得たのはハインリヒ4世である | ○ |
1077年のカノッサの屈辱で雪の中に立ち尽くして許しを得たのはグレゴリウス7世である | × |
歴代イギリス国王の中で在位期間がもっとも長いのはビクトリア女王である | ○ |
歴代イギリス国王の中で在位期間がもっとも長いのはエリザベス2世である | × |
陶片追放の制度を考案した古代ギリシャのクレイステネスは その後、自分も陶片追放によりアテナイを追われた | × |
大航海時代の3人の航海者コロンブス、マゼラン、バスコ・ダ・ガマは全員同じ国の人物である | × |
探検家コロンブスが生まれた国はスペインである | × |
探検家コロンブスが生まれた国はイタリアである | ○ |
新大陸に到着した航海者コロンブスは死ぬまでアメリカをインドだと思っていた | ○ |
フランス・ヴァロワ朝の王シャルル7世は「勝利王」と呼ばれた | ○ |
フランス・ヴァロワ朝の王シャルル7世は「失地王」と呼ばれた | × |
古代ローマの将軍小スキピオは大スキピオの子供である | × |
古代イスラエル王国の王でダビデはソロモンの息子である | × |
古代イスラエル王国の王でダビデはソロモンの父である | ○ |
1989年のルーマニア革命でチャウシェスク大統領は夫人と共に処刑された | ○ |
フランスの英雄・ナポレオンは生涯独身だった | × |
フランスの皇帝ナポレオンが生まれた島はコルシカ島である | ○ |
フランスの皇帝ナポレオンが生まれた島はセント・ヘレナ島である | × |
1799年にナポレオンが総裁政府を打倒した出来事を「ブリュメール18日のクーデター」という | ○ |
1799年にナポレオンが総裁政府を打倒した出来事を「ブリュメール9日のクーデター」という | × |
ナポレオンの百日天下に終わりを告げた戦いの名前はワーテルローの戦いである | ○ |
ナポレオンの百日天下に終わりを告げた戦いの名前はライプチヒの戦いである | × |
ナポレオンが連合軍に敗れた「ワーテルローの戦い」で知られるワーテルローは現在のベルギーにある都市である | ○ |
フランス皇帝ナポレオン3世はナポレオン1世の孫である | × |
フランス皇帝ナポレオン3世はナポレオン1世の甥である | ○ |
バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見したとき、途中陸地には一度も立ち寄らなかった | × |
イエズス会を創設したフランシスコ・ザビエルは日本で亡くなった | × |
フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットはルイ16世の妃である | ○ |
フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットはルイ14世の妃である | × |
ヨーロッパ人で初めてアフリカ大陸を横断したリヴィングストンはアフリカ大陸で亡くなった | ○ |
フランスの歴史上の王様でルイ14世は「太陽王」と呼ばれましたがルイ13世は「月王」と呼ばれた | × |
ブルボン朝のフランス王ルイ18世はルイ16世の弟である | ○ |
イギリスの伝説上の義賊ロビン・フッドが得意とした武器は弓である | ○ |
イギリスの伝説上の義賊ロビン・フッドが得意とした武器は剣である | × |
イギリス3C政策の3つの都市は、すべてアフリカ大陸にある | × |
16世紀にその艦隊が「無敵艦隊」と呼ばれた国はイギリスである | × |
16世紀にその艦隊が「無敵艦隊」と呼ばれた国はスペインである | ○ |
1588年にスペインの無敵艦隊を破ったのはオランダの艦隊である | × |
1588年にスペインの無敵艦隊を破ったのはイギリスの艦隊である | ○ |
1700年からの北方戦争でオスマン帝国と組んでロシアと戦った国はフィンランドである | × |
1700年からの北方戦争でオスマン帝国と組んでロシアと戦った国はスウェーデンである | ○ |
18世紀に「王は君臨すれども統治っせず」という政治体制の原則が成立した国はスペインである | × |
18世紀に「王は君臨すれども統治っせず」という政治体制の原則が成立した国はイギリスである | ○ |
19世紀に反革命の砦として「ヨーロッパの憲兵」と呼ばれた国はイギリスである | × |
19世紀に反革命の砦として「ヨーロッパの憲兵」と呼ばれた国はロシアである | ○ |
一般に「ビザンティン帝国」と呼ばれるのは西ローマ帝国である | × |
一般に「ビザンティン帝国」と呼ばれるのは東ローマ帝国である | ○ |
1866年の普墺戦争で勝った国はプロイセンである | ○ |
1866年の普墺戦争で勝った国はオーストリアである | × |
1898年にファショダ事件が起こったアフリカの国はスーダンである | ○ |
1898年にファショダ事件が起こったアフリカの国はアルジェリアである | × |
20世紀初頭のモロッコの事件で対立した国はドイツとフランスである | ○ |
1974年のカーネーション革命で独裁体制が崩壊した欧州の国はスペインである | × |
1974年のカーネーション革命で独裁体制が崩壊した欧州の国はポルトガルである | ○ |
1989年に民主化革命のビロード革命が起きた国はチェコスロバキアである | ○ |
スペインの無敵艦隊はその名の通り一度も負けなかった | × |
西ローマ帝国と東ローマ帝国 先に滅亡したのは西ローマ帝国である | ○ |
西ローマ帝国と東ローマ帝国 先に滅亡したのは東ローマ帝国である | × |
476年に傭兵隊長オドアケルが滅ぼした国は西ローマ帝国である | × |
476年に傭兵隊長オドアケルが滅ぼした国は東ローマ帝国である | ○ |
711年に西ゴート王国を滅亡させたイスラム王朝はホラズム朝である | × |
711年に西ゴート王国を滅亡させたイスラム王朝はウマイヤ朝である | ○ |
薔薇戦争の結果誕生したイギリスの王朝はテューダー朝である | ○ |
薔薇戦争の結果誕生したイギリスの王朝はプランタジネット朝である | × |
19世紀のイギリスで「喉に刺さった骨」といわれたのはスコットランド問題である | × |
19世紀のイギリスで「喉に刺さった骨」といわれたのはアイルランド問題である | ○ |
スイスが永世中立国となったのは1648年のウェストファリア条約である | × |
スパルタ教育の語源となった古代ギリシャのスパルタでは健康でない新生児は山の穴に遺棄された | ○ |
395年にローマ帝国は南北に分裂した | × |
395年にローマ帝国は東西に分裂した | ○ |
1291年に陥落した十字軍国家「エルサレム王国」の最後の拠点はエルサレムである | × |
フランス革命時にルイ16世が処刑されたパリにある広場はヴァンドーム広場である | × |
フランス革命時にルイ16世が処刑されたパリにある広場はコンコルド広場である | × |
1934年の長いナイフの夜事件で粛清されたのはナチスの親衛隊である | × |
1934年の長いナイフの夜事件で粛清されたのはナチスの突撃隊である | ○ |
ルネサンス期のイタリアでフィレンツェを支配していたのはハプスブルク家である | × |
ルネサンス期のイタリアでフィレンツェを支配していたのはメディチ家である | ○ |
フランス革命で実権を握り恐怖政治を推し進めたのはジロンド派である | × |
フランス革命で実権を握り恐怖政治を推し進めたのはジャコバン派である | ○ |
フランス革命時に起きた8月10日事件で没落した勢力はジロンド派である | ○ |
1936~39年のスペイン内乱で勝利したのは人民戦線政府である | × |
1936~39年のスペイン内乱で勝利したのは反乱軍である | ○ |
スペイン内乱のときフランコが結成した政党はファシスタ党である | × |
スペイン内乱のときフランコが結成した政党はファランヘ党である | ○ |
ドイツ帝国のビスマルクが弾圧したキリスト教の教派はプロテスタントである | × |
ドイツ帝国のビスマルクが弾圧したキリスト教の教派はカトリックである | ○ |
1534年に創設されたキリスト教の修道会「イエズス会」は現在も活動している | ○ |
白衣の天使と呼ばれたナイチンゲールが活躍したのは百年戦争である | × |
白衣の天使と呼ばれたナイチンゲールが活躍したのはクリミア戦争である | ○ |
「白衣の天使」と呼ばれたナイチンゲールが従軍したのは三十年戦争である | × |
「白衣の天使」と呼ばれたナイチンゲールが従軍したのはクリミア戦争である | ○ |
ピカソの代表作『ゲルニカ』は第一次世界大戦の惨劇を描いたものである | × |
ピカソの代表作『ゲルニカ』はスペイン内戦の惨劇を描いたものである | ○ |
1652年の第一次英蘭戦争の原因となったイギリスの法律は穀物法である | × |
1652年の第一次英蘭戦争の原因となったイギリスの法律は航海法である | ○ |
17世紀の三十年戦争において兵士の大部分は農民だった | × |
キリスト教徒による十字軍は、その名のとおり10回以上遠征した | × |
第一次世界大戦で最も戦死者が多かった国はドイツである | ○ |
第二次世界大戦においてドイツは最後までイギリスへの本土上陸はできなかった | ○ |
中世ヨーロッパで起こった「百年戦争」の行われた期間はちょうど100年である | ○ |
イギリスとフランスが戦った百年戦争の実際の期間は百年以上である | ○ |
ヨーロッパで起きた世界市上の出来事であるローマ大火とロンドン大火のうち、先に起きたのはロンドン大火である | × |
ローマ大火が 西暦64年、ロンドン大火が 1666年 である。 | |
フランス革命前夜の1788年6月グルノーブル市民が国王の軍に反乱した日を「屋根瓦の日」という | ○ |
1572年に起きたキリスト教の事件サン・バルテルミの虐殺とは、プロテスタントがカトリックを弾圧した事件である | × |
1572年に起きたキリスト教の事件サン・バルテルミの虐殺とは、カトリックがプロテスタントを弾圧した事件である | ○ |
1820年のスペイン立憲革命はイギリスの介入により頓挫した | × |
1820年のスペイン立憲革命はフランスの介入により頓挫した | ○ |
1830年フランス七月革命の影響でドイツでもグーツヘルシャフトを中心とした暴動が各地で起きた | × |
1870年のエムス電報事件でプロイセンが挑発した国はイギリスである | × |
1870年のエムス電報事件でプロイセンが挑発した国はフランスである | ○ |
19世紀後半のロシアで起こった「ナロードニキ運動」とは知識人の力でツァーリを妥当しようとした運動である | × |
1989年のルーマニア革命でチャウシェスク大統領は夫人と共に処刑された | ○ |
1944年にフランス共和国臨時政府が成立したアフリカの都市はアルジェである | ○ |
1879年に発見された野牛の壁画などで有名なスペインの洞窟はラスコーである | × |
1879年に発見された野牛の壁画などで有名なスペインの洞窟はアルタミラである | ○ |
1960年にフランスが初の核実験をおこなった場所はサハラ砂漠である | ○ |
1960年にフランスが初の核実験をおこなった場所はゴビ砂漠である | × |
パリのエッフェル塔は1889年の建設当時世界一高い建造物だった | ○ |
古代ローマ時代のローマには水洗式の公衆トイレがあった | ○ |
トルコにある古代遺跡カッパドキアを築いたのはイスラム教徒である | × |
トルコにある古代遺跡カッパドキアを築いたのはキリスト教徒である | ○ |
「単性論」を否定しキリストの神性と人性を認めた451年に開かれた公会議はエフェソス公会議である | × |
「単性論」を否定しキリストの神性と人性を認めた451年に開かれた公会議はカルケドン公会議である | ○ |
イギリスで名誉革命の翌年に出されたのは権利の章典である | ○ |
イギリスで名誉革命の翌年に出されたのは権利の請願である | × |
843年、フランク王国を3国に分裂させた条約はヴェルダン条約である | ○ |
843年、フランク王国を3国に分裂させた条約はメルセン条約である | × |
1806年にナポレオンが大陸封鎖令によって市場から閉めだしたのはドイツの商品である | × |
1806年にナポレオンが大陸封鎖令によって市場から閉めだしたのはイギリスの商品である | ○ |
1848年のフランクフルト国民議会で決まったドイツ統一の方針は小ドイツ主義である | ○ |
1848年のフランクフルト国民議会で決まったドイツ統一の方針は大ドイツ主義である | × |
イギリスがアメリカの独立を承認した条約はロンドン条約である | × |
イギリスがアメリカの独立を承認した条約はパリ条約である | ○ |
ナポレオン戦争後の秩序再建を目的としたウィーン会議にはナポレオンの祖国フランスも参加していた | ○ |
1915年に結ばれたマクマホン協定は、イギリスがアラブの独立を約束したものである | ○ |
イギリスの政治家チャーチルが「鉄のカーテン」演説を行ったのは第2次世界大戦中である | × |
1946年にイギリスのチャーチル元首相が「鉄のカーテン」演説を行った国はアメリカである | ○ |
イギリスにおける清教徒革命と名誉革命は共に17世紀に起こった | × |
1871年にドイツ帝国宰相ビスマルクが始めた文化闘争とはカトリック弾圧政策のことである | ○ |
イギリスでは1832年の第1次選挙法改正により、労働者階級にも選挙権が与えられた | × |
フランスの身分制議会・三部会で第一身分とされたのは貴族である | × |
フランスの身分制議会・三部会で第一身分とされたのは聖職者である | ○ |
メートル法が考案されたのはフランス革命がきっかけである | ○ |
ローマ教皇インノケンティウス3世の有名な言葉は「皇帝は太陽、教皇は月」である | × |
旧制度と訳されるフランス革命前の社会体制はアンファン・テリブルである | × |
旧制度と訳されるフランス革命前の社会体制はアンファン・レジームである | ○ |
中世後期のイギリスにおける大地主「ジェントリー」を日本語では郷勇という | × |
中世後期のイギリスにおける大地主「ジェントリー」を日本語では郷紳という | ○ |
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