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日本の古代・中世史検定/○× | |
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問題 | 答 |
日本の歴史上、2代続けて女性が天皇になったことがある | ◯ |
「天皇」という称号を初めて使用したと考えられている第40代天皇は天智天皇である | ◯ |
歴代天皇の中で初めて漢字の「仁」が付く名前を持ったのは一条天皇である | ◯ |
526年に磐井の乱が起きた時の天皇は応神天皇である | × |
526年に磐井の乱が起きた時の天皇は継体天皇である | ◯ |
684年に「八色の姓」の制度を設けた天皇は天智天皇である | × |
684年に「八色の姓」の制度を設けた天皇は天武天皇である | ◯ |
病気を治してもらったことから道鏡を重用した第48代天皇は称徳天皇である | ◯ |
病気を治してもらったことから道鏡を重用した第48代天皇は桓武天皇である | × |
奈良の大仏で有名な東大寺を建立した天皇は持統天皇である | × |
奈良の大仏で有名な東大寺を建立した天皇は聖武天皇である | ○ |
壬申の乱で争ったのは大海人皇子と大友皇子である | ○ |
壬申の乱で争ったのは大海人皇子と大津皇子である | × |
鎌倉時代に起こった「承久の乱」で幕府征伐を企てた上皇は後鳥羽上皇である | ○ |
鎌倉時代に起こった「承久の乱」で幕府討伐を企てた上皇は後醍醐上皇である | × |
鎌倉時代の1290年に起きた浅原事件で、浅原為頼が暗殺しようとしたのは亀山天皇である | × |
鎌倉時代の1290年に起きた浅原事件で、浅原為頼が暗殺しようとしたのは伏見天皇である | ○ |
南北朝統一後に南朝の再興を図った後南朝の最後の天皇は西陣南帝である | ○ |
日本で初めて院政を行ったのは後白河上皇である | × |
日本で初めて院政を行ったのは白河上皇である | ◯ |
お札の肖像にもなった神功皇后の夫である天皇は敏達天皇である | × |
お札の肖像にもなった神功皇后の夫である天皇は仲哀天皇である | ◯ |
645年に起きた乙巳の変で中大兄皇子に暗殺されたのは蘇我馬子である | × |
日本の歴史上、初めて征夷大将軍に任命されたのは坂上田村麻呂である | × |
日本の歴史上、初めて征夷大将軍に任命されたのは大伴弟麻呂である | ◯ |
孝謙上皇の軍師として764年の藤原仲麻呂の乱を鎮圧した人物は坂上田村麻呂である | × |
孝謙上皇の軍師として764年の藤原仲麻呂の乱を鎮圧した人物は吉備真備である | ◯ |
大阪にある四天王寺を建立したのは空海である | × |
大阪にある四天王寺を建立したのは聖徳太子である | ○ |
805年に起きた徳政論争で桓武天皇が採用したのは菅野真道の意見である | × |
805年に起きた徳政論争で桓武天皇が採用したのは藤原緒嗣の意見である | ○ |
平安時代に起きた後三年の役を平定した源氏の武将は源義朝である | × |
平安時代に起きた後三年の役を平定した源氏の武将は源義家である | ◯ |
平安時代に武士として初めて太政大臣に就任した人物は平将門である | × |
平安時代に武士として初めて太政大臣に就任した人物は平清盛である | ◯ |
巴御前を妻に持った源氏の武将は木曽義仲である | ◯ |
静御前を妻に持った源氏の武将は木曽義仲である | × |
平安末期に活躍した武将・平清盛の父親は平忠盛である | ◯ |
平安末期に活躍した武将・平清盛の父親は平重盛である | × |
小倉百人一首の詠み人「菅家」とは菅原道真のことである | ◯ |
平安時代、比叡山に延暦寺を開いた高僧は最澄である | ◯ |
京都五山の一つ建仁寺を開山した僧は道元である | × |
京都五山の一つ建仁寺を開山した僧は栄西である | ◯ |
小野小町のもとに九十九夜通ったという伝説で知られる人物は深草中将である | × |
小野小町のもとに九十九夜通ったという伝説で知られる人物は深草少将である | ○ |
源義朝の妻の名前は北条政子である | ◯ |
源義朝の妻の名前は日野富子である | × |
鎌倉幕府で初代連署を務めた人物は北条重時である | × |
鎌倉幕府で初代連署を務めた人物は北条時房である | ◯ |
1297年に「永仁の徳政令」を出した鎌倉幕府の執権は北条貞時である | ○ |
1416年に上杉禅秀が反乱を起こした相手である鎌倉公方は足利氏満である | × |
1486年に江戸城主・太田道灌を暗殺した武将は上杉定正である | ○ |
1487年から1505年まで続いた長享の乱で争ったのは上杉定正と関東管領の上杉憲実である | × |
日本で初めて糖尿病であることが記述された歴史上の人物は足利義満である | × |
日本で初めて糖尿病であることが記述された歴史上の人物は藤原道長である | ○ |
遣隋使と遣唐使の両方に任命された人物がいる | ◯ |
鎌倉幕府と室町幕府で将軍の数が多かったのは室町幕府である | ○ |
鎌倉幕府と江戸幕府。将軍の数は同じである | × |
鎌倉幕府の将軍はみな「源」姓である | × |
浄土宗と浄土真宗の開祖は同じ人物である | × |
810年の薬子の変がきっかけで没落した藤原四家の一つは北家である | × |
810年の薬子の変がきっかけで没落した藤原四家の一つは京家である | ○ |
1391年、室町幕府に対して明徳の乱を起こした守護大名は山名氏である | ○ |
1399年、室町幕府に対して応永の乱を起こした守護大名は山名氏である | × |
室町時代に成立した「上杉四家」といわれる家のうち、幕府の下で主に関東管領の職にあったのは山内上杉家である | ○ |
室町時代に成立した「上杉四家」といわれる家のうち、幕府の下で主に関東管領の職にあったのは扇谷上杉家である | × |
邪馬台国の女王・卑弥呼と対立した狗奴国の卑弥弓呼は男性である | ◯ |
遣隋使として派遣された小野妹子は男性である | ◯ |
遣隋使となった小野妹子の冠位十二階での最高位は大徳である | ◯ |
飛鳥時代、蘇我馬子は仏教を受け入れて保護した | ◯ |
奈良時代に唐の僧・鑑真が日本で開いた宗教は時宗である | × |
奈良時代に唐の僧・鑑真が日本で開いた宗教は律宗である | ◯ |
菅原道真が太宰府に送られる前就いていた役職は左大臣である | × |
菅原道真が太宰府に送られる前就いていた役職は右大臣である | ◯ |
平安時代に「御堂関白」と呼ばれた藤原道長は実際に関白になったことはない | ◯ |
平安時代の武将・那須与一が得意としていた武器は弓である | ○ |
源氏の武将である源頼朝と源義経は兄弟である | ○ |
鎌倉幕府初代執権・北条時政は北条政子の兄である | × |
金閣を建てた足利義満と銀閣を建てた足利義政は兄弟である | × |
日本水墨画を大成した僧侶・雪舟は室町時代の人物である | ○ |
日本水墨画を大成した僧侶・雪舟は鎌倉時代の人物である | × |
江戸時代、スペイン人やポルトガル人のことを紅毛人と呼んだ | × |
江戸時代、スペイン人やポルトガル人のことを南蛮人と呼んだ | ◯ |
奈良時代の740年に藤原広嗣の乱が起きた場所は九州地方である | ◯ |
奈良時代の740年に藤原広嗣の乱が起きた場所は北陸地方である | × |
8~9世紀の日本の行政区画で九州が属していたのは西海道である | ◯ |
8~9世紀の日本の行政区画で九州が属していたのは南海道である | × |
日本に仏教を伝えた古代朝鮮の国は百済である | ◯ |
日本に仏教を伝えた古代朝鮮の国は新羅である | × |
淳仁天皇が廃位になるきっかけとなった奈良時代の出来事は藤原広嗣の乱である | × |
淳仁天皇が廃位になるきっかけとなった奈良時代の出来事は藤原仲麻呂の乱である | ○ |
平安時代の「応天門の変」は応天門の放火による炎上を巡る事件である | ○ |
1083年の後三年の役は藤原氏の内紛から始まった | × |
1083年の後三年の役は清原氏の内紛から始まった | ○ |
平安時代末期の平治の乱はわずか半日で終了した | × |
源平合戦で源氏の旗の色は赤である | × |
源平合戦で源氏の旗の色は白である | ○ |
遣唐使の出発地だったのは現在の大阪である | ○ |
室町幕府8代将軍・足利義政の時代に栄えた東山文化はわび・さびを基調とする簡素な文化である | ○ |
1428年に起きた史上初の農民による一揆は播磨の土一揆である | × |
1428年に起きた史上初の農民による一揆は正長の土一揆である | ○ |
1549年に日本に伝来したのはキリスト教である | ○ |
高徳院にある鎌倉の大仏の屋根が津波で流されたのは室町時代である | ○ |
平清盛によって遷都されたのは長岡京である | × |
悲劇の女性・建礼門院徳子が平家滅亡後に尼として余生を過ごした京都の寺は寂光院である | ○ |
室町幕府第6代将軍を決めるくじ引きが行われた場所は石清水八幡宮である | ◯ |
応仁の乱の最大の激戦といわれる1467年10月に起きた戦いの舞台となったお寺は相国寺である | ◯ |
東京都にある大森貝塚は弥生時代の貝塚である | × |
東京都にある大森貝塚は縄文時代の貝塚である | ○ |
奈良県にある石舞台古墳は前方後円墳である | × |
前方後円墳の原型と考えられている陸橋を持つ円形の墓が発見された瀬田遺跡は大阪府にある | × |
前方後円墳の原型と考えられている陸橋を持つ円形の墓が発見された瀬田遺跡は奈良県にある | ○ |
飛鳥時代の寺の伽藍配置法隆寺式では、南大門から見て塔と金堂が縦に並んでいる | × |
聖武天皇が建てた国分寺は現在ひとつも残っていない | × |
遣隋使となった小野妹子の冠位十二階での最高位は大徳である | ◯ |
遣隋使となった小野妹子の冠位十二階での最高位は大仁である | × |
飛鳥時代お位の制度「冠位十二階」の後に「冠位十三階」も作られた | ◯ |
聖徳太子の十七条の憲法に縁起の悪い「第4条」はなかった | ○ |
鎌倉幕府の執権・北条泰時が裁判の基準として制定したのは御成敗式目である | ◯ |
鎌倉幕府の執権・北条泰時が裁判の基準として制定したのは武家諸法度である | × |
北条泰時が制定した御成敗式目は聖徳太子の憲法にならって全17条だった | × |
鎌倉幕府倒幕後の後醍醐天皇による建武の新政では関白や摂政は置かれなかった | ○ |
1884年に「弥生式土器」が発見されたのは「弥生」、つまり3月であった | ○ |
なお 名前の由来は東京都文京区弥生の地名からきている。 | |
現存する日本最古の歴史書『古事記』を筆録したのは稗田阿礼である | × |
現存する日本最古の歴史書『古事記』を筆録したのは太安万侶である | ◯ |
南北朝時代に北畠親房が著した『神皇正統記』は南朝の正当性を綴ったものである | ◯ |
日本最古の和歌集『万葉集』が編纂されたのは奈良時代である | ◯ |
華道の家元「池坊」の始祖である飛鳥時代の人物は小野妹子である | ◯ |
華道の家元「池坊」の始祖である飛鳥時代の人物は聖徳太子である | × |
中世の日本で見られた六斎市とは年に6回開かれた定期市である | × |
中世の日本で見られた六斎市とは月に6回開かれた定期市である | ○ |
中世の京都で見られた、京都で頭に炭や薪を乗せて売った女性は桂女である | × |
中世の京都で見られた、京都で頭に炭や薪を乗せて売った女性は大原女である | ○ |
中世の京都で見られた、京都で鮎や朝鮮あめを売り歩いた女性は桂女である | ○ |
中世の京都で見られた、京都で鮎や朝鮮あめを売り歩いた女性は大原女である | × |
中世の日本で「番匠」と呼ばれた職業は飛脚である | × |
中世の日本で「番匠」と呼ばれた職業は大工である | ○ |
西暦1年当時日本は弥生時代だった | ◯ |
西暦1年当時日本は縄文時代だった | × |
日本で稲作が始まったのは弥生時代である | ◯ |
日本で稲作が始まったのは縄文時代である | × |
青森の三内丸山遺跡は弥生時代の遺跡である | × |
青森の三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡である | ◯ |
群馬県にある岩宿遺跡は旧石器時代を代表する遺跡である | ◯ |
群馬県にある岩宿遺跡は縄文器時代を代表する遺跡である | × |
歌人の小野小町や紀貫之が活躍したのは平安時代である | ○ |
歌人の小野小町や紀貫之が活躍したのは奈良時代である | × |
橘奈良麻呂の乱が起きたのは平安時代である | × |
橘奈良麻呂の乱が起きたのは奈良時代である | ◯ |
日本で最初に戸籍が作られたのは飛鳥時代である | ○ |
日本で最初に戸籍が作られたのは平安時代である | × |
聖武天皇によって全国に国分寺が建てられたのは奈良時代の出来事である | ○ |
聖武天皇によって全国に国分寺が建てられたのは平安時代の出来事である | × |
「平安時代」にはその名のとおり戦争は1度も起こらなかった | × |
南北朝時代の南朝が正当であると定められたのは明治時代である | ○ |
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