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- 2007年 2月 -

 

・2月 3日(火)

生む機械

 そう言えば今日は節分。節分と言えば豆まきだけど、気がついたら恵方巻きなんて勝手に流行っている? もともと関西の風習らしいが、いつの間にここまで広まってしまったのだろう? というか関西の風習はすぐ流行るけど、東北の風習はなかなか流行らないので、ちょっと羨ましい限りだ。秋にいも煮会する風習は何年たっても流行らなさそうだしなあ・・・

 さてと題名にあった通り、「生む機械」なんてM元首相並みに暴言吐いちゃった人もいるもんだ。一応、この言葉が出た前後のくだりも見てみたけど、やっぱりこういう言葉は普通出ないなあ。暴言吐いて国会を混乱させようという意図でも無い限り無理かと? 自然に出てきたとしたのなら・・・・・ある意味すごい。というか彼が厚生労働大臣になるのに誰か止めなかったのだろうか? そっちの方が不思議で仕方が無い。

 さてこの発言を弾劾するのはもちろんなのだが、結局少子化問題はどうする気なんでしょうか? 彼が言ってるように、生む人が数多く生めば良いという問題ではない気がするのだが?? 生む数を増やせと言っても、単純考えると3人以上は生まねばならないんだけど、さすがに4,5人と生んだら大変だし。しかもいきなりこの人数を増やしたら、またベビーブームみたいに受験戦争や就職難、ひいては大量定年退職を招く。単純に増やせばよいという問題ではない。

 ところで、この問題で良く言われるのが「支援」が必要と言われるけど、補助金を与えても、それはそれでまた税金が増えて暮らしが苦しくなり、結果としてより少子化を増長しそうだ。というか戦後は今よりも生活が苦しかったのに、補助金もなく子供の数は多かったことを考えると、補助金だけが問題ではないはず。どちらかと言えば、人的支援が必要であると考える。

 人的支援と言っても保育所を増やそうにも金はかかるし、現状では夜遅くまで働く人が多くなったために、夜遅くまで開く保育所が必要となる。そんな施設を作るのは現実的ではない。出来れば爺さん婆さんが頑張って子育てを手伝ってくれれば良いのだが、今の核家族化した社会ではなかなかそうもいかない。どちらかと言えば爺さん婆さん達に育ててもらいたくない、という若者も多かったりするのでは? 正直、核家族が増えてるってのは・・・・・そういう理由が結構あるし。

 そう考えると八方塞がりな気がするが、まあこれでいいんじゃないの? 個人的には日本が多少貧乏になった方がいいと思ってるし。こういう問題は、普段「金無い、金無い」と言って贅沢に使いまくってる奴らが考えてくれないかなあ、と思うところ。・・・・・あ、でも奴らは常に無計画に金を使いまくってるから、少子化問題も無計画になるのか。それはもっと困るなあ。

 

・2月18日(日)

帰らざる時の続きに

 日記の更新が3週間ぶりになってしまったか・・・。ここしばらくの間、更新できなくなる出来事があった。ほんの一部の方は知ってると思われるが、実は2/8日に父が永眠したため、ここしばらくの間実家に帰っていた。父は特に病気がちだった訳でもなく急逝したため、実家でもテンヤワンヤの大騒ぎであった。今になって、ようやく落ち着いてきたところである。

 なお原因は急性くも膜下出血。父は入院もしたことなかったのだが、突如倒れていて、母が帰った時には冷たくなっていたという。いちおう前兆らしい出来事はあるにはあったのである。実はこの2週間前、私もよく知っている親戚の子が富津岬で「自殺」したという。齢まだ20代前半である。父はその子が非常にお気に入りで、額縁に写真を飾っていたほどだ。私の写真は飾ってないクセに・・・。その子の葬儀の準備中、父は倒れて泡を吹いていたのである。その事は私も知っていたのだが、病院に行ったら意識を回復し、病院でも大丈夫と言われたという。それで大丈夫と思っていたら・・・・・・帰らぬ人となってしまったのである。そう言えば、1/25の日記にベルトが切れて不吉な! と言ってたけど、どうやらこの予兆だったらしい。

 なお親戚の子が「自殺」した事件は、いまだ分からないことだらけである。まずその子は基本的に宮城県内で活動していて、千葉にはまず出かける用事は無い。万が一、私の元に来たとしても、一回連絡くらいは入れるはず。ただ結果としては、その子が富津岬で亡くなっていて、買ったばかりの車も見つからないらしい。なお富津岬は自殺の名所でも何でもなく、むしろ宮城から来てわざわざココで自殺することが考えられない。もっと近場でも良いはずだ。しかしながら警察ではこの件に関しては「自殺」で片付けてしまい、徹底的には探そうとしない。全くもって無念で仕方がない。

 さて話を戻して、父の葬儀に出たのだが、正直私は何も出来なかったなあ・・・。ただでさえ田舎の葬儀で、不思議な風習が多いし。いまだに実家から墓場まで鐘鳴らしながら行進したり、7日7晩線香切らさず点けたりするのは・・・・・今の日本でやってるところあるのかなあ? そうでなくとも葬儀で何したら良いのか全く分からず、ただただ茶の間に居て弔問者にお礼するだけであった。他の雑務は、近所の方に全てやってもらったような状態である。自分の親の事なのに、全くもって申し訳ない・・・。ここを読んでいる皆様、こんな情けない状況にならないよう、親族の葬儀には出来る限り出席・手伝いした方がいいですよ!

 さて、全く実感の無いまま全てが怒涛のように終了し、気がついたらもう10日経ったのか・・・。とりあえず一通り落ち着いてきたが、手続きはまだまだある。兄が郵便局員で郵貯担当だったため、金の相続に関しては全く困らなかったが、まだ農地やら店やらの相続の問題は山積である。そんな事よりも、今は亡くなった父のことで心が一杯である。正直、朝から酔っ払って家事は何もせず寝てばかりいて、全くもって「だらしない父親」像そのものであり、帰るたびにボロクソに文句を言っていたのであるが、そんな父でもこうなると効くよなあ・・・

 幾ら嘆いても過去は戻らず、残された者が元気に生きることが弔いの一つであることは重々承知であるが、感傷に浸りたいこともまた事実である。

 

・2月23日(金)

はらこめし(2)

 ここ10日くらい実家にいることとなったのだが、木更津に戻ってきてやっぱり仕事が山積していた・・・。普段からいっぱいいっぱいだったのに、さらに輪をかけて休むヒマなく働く羽目にあう。まだ実家での諸手続きが終わっても無いから、少しは減らして欲しいのだが・・・。母や兄も同じ状況らしく、感傷に浸るどころでもないらしい。というか、消耗品買っておいたりとか、コピーとったりとか、誰にでも出来そうなことすら放置されてたのはナゼでしょう? ・・・まあ彼はそんなんだから、この度晴れて「退職」というご褒美を頂戴するハメに遭ったんだけどね。

 さてと話題を変えて、確か先月、はらこめしの作り方を日記に記載したのだが、先週実家に帰った時にさらに美味しく作る方法を教わったので、またまた書いてみようと思う。はらこめしは鮭の身をご飯と一緒に炊いて混ぜご飯を作るのだが、この前にまず鮭の身をグリルで焼く。グリルが無い場合には、フライパンの上で焦げ目が軽く付く程度に焼く。できればこの後皮を取って、さらにこんがりと焼く。こうすると香りが出て、非常に美味しく出来上がる。

はらこめし
以前よりも美味しくできました!

 いくらは前回はらこめしを作った時から冷凍保存されているので、さっそく帰ってから実践してみた。うむ、これはウマい! 簡単にできて、その割に美味しくできる。これは皆さんが集まった時に、是非とも披露することにしよう。

 


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